不老不死の極論

10/14(土) 23:10配信

老いとは何か?考えたところ、極論云うと、早く老いを受け入れざるをえなくなった70代の人にとっては、「老いを受け入れる」ことは「個人差を受け入れる」とほぼ同じ意味であると云えるし、自分を他人と比べている限りは苦しさから抜け出せません。もし抜きん出たいなら、スペルミジンを含む納豆を食べ肉を食べを毎日して毎日運動してたらポジティブに若く、そして、誰よりも長生きが出来ます。

そんな事でも、我が国では数年来、自殺が若年層に於ける死因の最も大きな割合を占めており、現代の若者が今一度 「死」について考えることの重要性が高まりつつあり、現代の日本では、古来より死後のイメージを与える存在でもあった宗教の希薄化と、死の医療化によって、生活から「死」がより遠いものとなっている。昨今の現代においては、死にたくても死なない人が少なからずいるでしょうし、死生観は現代の幸福観と比例して存在している。より世界が幸福になれば、死にたくないと思うのが世の常でしょう。現代の日本において、このテーマは大事です。

そんな時代において、不老不死について書くのは野暮かもしれませんが、ある意味、多くの人が一度「不老不死」という言葉を口にすれば、多くの人が幸せな未来を思い浮かべると思います。不老不死の研究というか、その分野においては堀江貴文氏の著書のタイトルでもあるアンチエイジング情報を網羅した本を読んでもらえばわかるので、今回は違う視点から述べたいと思う。

一つの考え方として、不老不死を手に入れることは、一見すると素晴らしいことのように思えます。年齢による体力の衰えや健康問題を気にする必要がなくなり、時間の限られた人生を壊れることなく永遠に過ごすことができるかもしれません。もしやとすれば、本当の意味でひとりの女性を永遠に愛する事や恋愛を年齢関係なく重ねたり出来るという事になりますが、

しかし、一方で、不老不死とは永遠の命の祝いと呪いの秘術であるとも言えるかもしれません。呪いというと怖く聞こえますが、恋愛は一つの生きた祝いでもあり、死ぬまでの呪いだという説もあるので、日本神話や生きてる事自体が皆人類罪を背負っているというアダムとイヴの論理に抗えず、ここは肯定的に呪いという言葉を使ってみました。人間は自然という環境に適応し、成長し、老いていく生物です。歳を重ねることや死に向かうことは、人間の存在の一部であり、これを否定することは、人間の本質を否定することにもつながるのかもしれません。その対象(生と死)をどう捉えるかとういう本人の意識次第でもあります。

結論として、「不老不死」は一見すると魅力的なものですが、実際には多くの複雑な問いや疑問を投げかけるテーマでもあります。人間の命の限りある喜びや哀しみ、成長と尽きることや死の中に意味があるのかもしれません。

このように、「不老不死」という願望には様々な側面があり、それぞれの考え方や価値観によって受け止め方も異なるでしょう。永遠の命の探求は、人間の根源的な問いに触れるものであり、私たちが永遠に考え続けるであろうテーマです。今日はこの辺で。

ニガ

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プロフィール

* ニガちん
ライター兼 漫画家

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